2025年8月14日、日本の茶道界を代表する人物であり、裏千家の前家元・千玄室(せん げんしつ)氏が102歳で逝去しました。
文化勲章を受章し、国内外で茶道の普及と平和活動に尽力した姿は、多くの人々の記憶に深く刻まれています。
今回の記事では、千玄室氏の経歴や晩年の活動、そして結婚相手や子供たちなどの家族構成について詳しくまとめていきます。
◆ 千玄室氏のプロフィール
- 本名:千 玄室(せん げんしつ)
- 生年:1923年(大正12年)
- 出身地:京都市
- 家系:裏千家14代家元・碩叟宗室(無限斎)の長男
- 学歴:同志社大学卒業後、ハワイ大学へ留学
- 肩書き:裏千家15代家元(1964〜2002)、文化勲章受章者
幼い頃から茶道に囲まれた生活を送り、自然と茶の湯の所作や精神を身につけていきました。
◆ 戦争体験と平和への思い
第二次世界大戦中、学徒出陣により海軍少尉として徳島海軍基地に配属されました。
特攻訓練を受けていたものの、終戦によって出撃は免れます。
この経験が後の**「一盌(いちわん)からピースフルネスを」**という平和理念の基礎となりました。
千氏は後年、この戦争体験をたびたび語り、茶道を通して「人と人をつなぐ平和の架け橋になる」ことを使命としました。
◆ 家元としての活動と功績
1949年、得度を受け僧籍に入り、1964年に十五代家元を襲名。
2002年には長男へ家元の座を譲り、自らは「玄室」と名乗ります。
在任中は70カ国以上を訪問し、国連本部、真珠湾、ベルリンの壁跡地など世界の象徴的な場所で献茶を行いました。
また、茶道の理念「和敬清寂(わけいせいじゃく)」を世界へ発信し、国際的にも高く評価されています。
これらの活動により、文化勲章をはじめ、国内外から数々の勲章や表彰を受けました。
◆ 妻・塚本登三子さんとの結婚
千玄室氏の妻は、京都の老舗商家・塚本商店会長の娘、塚本登三子(つかもと とみこ)さんです。
お二人は公私にわたって強い絆で結ばれ、裏千家の活動を二人三脚で支えてきました。
登三子さんは国内外の茶会や国際交流の場でも活躍し、家元の活動を外交的な面からも支援しました。
しかし、1999年に惜しまれながら他界しています。
◆ 子供たちの人物像
千玄室氏には2人の息子がいます。
- 長男:坐忘斎 千宗室(ざぼうさい せんそうしつ)氏
現在の裏千家16代家元で、父の理念を受け継ぎながら現代的な茶道の普及活動を行っています。
国際舞台にも積極的に立ち、茶の湯を通じた文化交流を推進。 - 次男:伊住政和(いずみ まさかず)氏
茶道文化や美術の分野で活動し、茶室や美術展の企画など文化的な仕事を手がけました。
裏千家の精神を独自の形で発信し続けた人物です。
◆ 晩年の活動と死因
報道によれば、死因は高齢による病気とされ、詳細な病名は公表されていません。
近年は体調面の理由から公の場に出ることは減っていましたが、100歳を過ぎても活動意欲は衰えず、
2023年には国連本部での献茶を行い、国内外で大きな話題となりました。
◆ まとめ:家族の支えと茶道の未来
千玄室氏は、戦争体験を平和へのメッセージに昇華し、茶道を通じて世界中に「和」の心を伝え続けた人物でした。
その背後には、妻・登三子さん、息子たち、そして裏千家の門人たちの支えがありました。
102年の生涯で築いた功績と理念は、これからも長く語り継がれていくでしょう。
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